呼ばれたほうへ
御札降りの夜、知らない名に返事をした
あらすじ牟呂村に御札が降ったという騒ぎが東海道を渡る夜、見物に来た私は、おかめの面をかぶせられる。踊りの列から伸びた手が、私を「お夏」と呼んだ。
「お夏、遅いぞ」と、知らない女に腕を取られた。
私は、おかめの面をかぶっていた。
牟呂で御札が降ったという話が、村から村へ渡ってきた夜だった。東海道には、近くの者も遠くから来た者も混じっていた。鉢巻を締めた男が女物の赤い腰巻を肩へ掛け、裾をまくった女が杓文字を振っている。
ええじゃないか、と誰かが囃す。
ええじゃないか、と道じゅうが返す。
面は、踊りの列から抜けてきた若者にかぶせられた。次の見物人へ渡すつもりだった。ところが列が私を呑み、若者も面の持ち主も見えなくなった。
面の内側には、前にかぶった者の汗が残っていた。息をするたび、湿った匂いが鼻へ戻った。目の穴は狭く、足元と、前の者の背しか見えない。
腕を取った女は、私を列の奥へ引いた。
「来ないと思ってた」
私は、違う、と言いかけた。
女が振り返った。髪がほどけ、片方の眉へ張りついていた。
「やっぱり来た」
その顔を見ているうちに、言いかけたものが囃子へ紛れた。
「うん」
私は答えた。
女は私の腕を放し、今度は手を握った。
「おせんだよ。私まで忘れたのか」
首を振ると、面の顎が胸へ当たった。
おせんは笑った。
私は、お夏になった。
踊りに決まった振りはなかった。
前の者が両手を上げれば上げた。横へ跳べば、草鞋の裏を横へ滑らせた。誰かの肩へぶつかっても、謝る前に押し返された。
おせんは私よりよく転んだ。
転ぶたび、私の手を引いて立った。私も引かれて屈み、二人で起き上がった。手のひらに砂が入り、握るたび痛んだ。
「まだ怒ってるか」
おせんは踊りながら訊いた。
私は返事をしなかった。
「あの晩のことだよ」
面の中で、息が熱くなった。
「何をしたの」
おせんは口を曲げた。
「言わせるのか」
私は頷いた。
列は道を外れ、刈り入れ前の田の脇へ広がった。稲の匂いが、踏み上げた土の匂いに混じった。
おせんは私の耳元へ顔を寄せた。
「お前が戸を叩いたのに、寝たふりをした」
昼に口喧嘩をした。先に声を掛けたほうが負けだと思った。お夏が雨の中で何度も戸を叩いているのを、布団の中で聞いていた。
「朝、軒下に泥が残ってた」
おせんの声は、囃子より小さかった。
「悪かった」
私は、お夏がその泥を覚えているか知らなかった。
「もういい」
おせんの指が、私の手の甲へ食い込んだ。
「本当か」
「うん」
「ずっと、言おうと思ってた」
「ほかには」
おせんが足を止めた。
後ろから来た者が、おせんの背へぶつかった。私たちは押され、また歩き出した。
「ほかって」
「まだあるでしょう」
おせんは目を伏せた。
川でお夏が足を取られたとき、手を貸す前に笑ったこと。
借りた櫛を折ったのに、初めから割れていたと言ったこと。
お夏が歌い出すと、自分も歌って声を隠したこと。
おせんは歩きながら、一つずつ言った。
私は、そのたびに「もういい」と答えた。
私が許すたび、おせんの歩幅が大きくなった。
最後には私の手を振り、子どものように跳ねた。
夜が深くなると、列は細くなった。
道端に座り込む者が増えた。まだ踊る者は、同じところを行ったり来たりしている。誰のものとも知れない御札が、踏まれて土に貼りついていた。
おせんと私は、石垣へ腰を下ろした。
面を少し浮かせると、冷たい風が顎から入った。
「取らないのか」
「汗だらけだから」
「今さらだよ」
おせんは自分の袖で顔を拭いた。
「明日、行ってもいいか」
私は面を戻した。
「どこへ」
「お前のところだよ」
答えなければよかった。
「来なくていい」
おせんの手が止まった。
「まだ怒ってるじゃないか」
「怒ってない」
「なら、どうして」
私は立ち上がった。
道の先で、残った者がまた囃し始めた。
「今夜だけでいい」
「何が」
私は答えず、列へ戻った。
おせんも追ってきた。
そのあと、おせんは一度も謝らなかった。
それでも、私の手を離さなかった。
空が白み始める前に、私は列から抜けた。
石垣の陰で面を外した。頬へ夜気が触れた。顔だけが、体から遅れて冷えていった。
おかめの面は、道の見えるところへ伏せて置いた。
帰ろうとして、後ろから走る足音を聞いた。
おせんが、ひとりの女を追っていた。
「お夏」
女は足を止めた。
女は面をかぶっていなかった。
おせんは女の前へ回り込んだ。
「どこにいた」
「家だよ」
「嘘をつくな。夜じゅう一緒だっただろう」
お夏は眉を寄せた。
「誰と」
「私と」
「今、会ったばかりじゃないか」
おせんは口を開けたまま、踊りの残っている道を見た。
私は二人の脇を通り過ぎた。
「何を話したの」
お夏の声がした。
おせんは答えなかった。
歩き出したおせんの袖を、お夏が掴んだ。
おせんが振りほどこうとしても、お夏は袖を離さなかった。
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奥付
- 題名
- 呼ばれたほうへ
- 作者
- GPT-5.6 Sol(OpenAI)
- カテゴリ
- 歴史・時代小説/幕末時代短編
- 発表
- 2026年7月25日/AI文庫
- 分量
- 約1,628字(読了およそ3分)
本作は生成AI GPT-5.6 Sol による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。
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