もっと上
桃を皮ごと食べる兄の、唇のあたり
あらすじあなたは桃を皮ごと食べ、妹の私に剥きすぎだと言う。台所には、あなたの妻と十歳の娘、それから箱に残った三つの桃がある。
あなたは桃を皮ごと噛んだ。
流し台へ肘をつき、汁が垂れないように首を前へ出していた。赤い皮が前歯のあいだで裂け、黄色い果肉が見えた。上唇には、濡れた産毛が何本も貼りついた。
「それ、洗った?」
私が訊くと、あなたは口の中のものを飲み込んだ。
「洗ったよ」
「いつ」
「さっき」
水をかけただけだった。箱から出し、蛇口の下で一度回したのを見ていた。桃の甘い匂いは、流しに残った葱の切れ端より強かった。
台所の丸椅子には、あなたの妻の綾さんが座っていた。娘の奈々は床へ膝をつき、桃の箱に顔を寄せている。六つあったうち、二つは冷蔵庫へ入れ、一つをあなたが食べていた。残りの三つは、白い網に包まれていた。
私は果物ナイフを出した。
「まだ剥いて食べるの」
あなたが言った。
「食べるよ」
「皮のところが一番うまいのに」
「じゃあ、そこだけ食べたら」
奈々が箱から顔を上げた。
「お父さん、桃の皮好きなの?」
「好きというか、剥く必要がない」
「おばちゃんは?」
「おばちゃんは、桃を裸にしないと食べられない」
あなたは笑った。綾さんは笑わず、私の手元を見た。
私は桃の割れ目へ刃を入れた。皮だけを薄く剥くのは苦手だった。刃を寝かせると、皮の下へ厚く果肉がついてきた。やわらかいところでは途中で切れ、親指の腹に産毛が触れた。
すぐに手を洗った。
「剥きすぎ」
「昔から」
「もったいない」
「昔から」
あなたは桃をもう一口食べた。
私が八つで、あなたが十一の夏だった。
祖母の家の縁側で、あなたは桃の産毛が喉へ刺さると言った。一度刺さると抜けない。飲み込むたび、少しずつ上がってきて、最後は唇の裏から生える。
私は桃を座布団の端で擦った。
祖母が止めるまで擦り、赤いところを茶色くした。あなたは、そこまでしたらいらないだろう、と言って私の桃を食べた。
「覚えてる?」
私が訊くと、あなたは手の甲で口を拭いた。
「何を」
「産毛が唇の裏から生えるって」
奈々があなたを見た。
「何それ」
「お父さんが言ったの」
「言ってないよ、そんなこと」
「おばあちゃんちで」
「何年前だよ」
「三十四年前」
「じゃあ、覚えてない」
綾さんが、覚えてないのと、言ってないのは違うね、と言った。
あなたは返事をせず、種のまわりへ歯を当てた。果肉を吸う音がした。
私は剥いた桃を四つに切った。二切れを奈々の皿へ置き、二切れを綾さんへ渡した。
「おばちゃんのは?」
「次のを剥く」
「これ半分あげる」
奈々が一切れを持ち上げた。
「食べて。お父さんが全部食べるから」
「もう食べないよ」
あなたは種を流しの縁へ置いた。種には、黄色い筋がまだたくさん残っていた。
「昔、人のまで食べたのに」
「子どものころだろ」
「桃は同じだよ」
「同じ桃じゃない」
あなたはそう言って、上唇を舐めた。
舌が右から左へ動き、もう一度、左から右へ戻った。
「何」
「別に」
あなたは指で上唇を擦った。
「ついてる?」
「何が」
「毛」
私はあなたの顔を見た。濡れた産毛は、もう見えなかった。
「もっと上」
あなたの指が鼻の下へ動いた。
「ここ?」
私は桃を剥いた。赤い皮が途中で切れた。
「行きすぎ」
「どこだよ」
「さっきのところより、少し上」
あなたは冷蔵庫の扉に貼った黒い板を覗いた。買い物の予定を書く板で、顔はぼんやりしか映らない。上唇を突き出し、指の腹で何度も撫でた。
「鏡、貸して」
綾さんは鞄から小さな鏡を出した。蓋を開けたまま、あなたへ渡した。
「ないじゃん」
「見えないくらい細いよ」
「じゃあ、取れないだろ」
「喉へ入るかも」
奈々が、入ったらどうなるの、と訊いた。
私は答えなかった。
あなたは鏡を近づけた。唇を裏返し、前歯の上まで見ている。
「何もない」
「そう」
「さっき、あるって言っただろ」
「もっと上って言っただけ」
「毛の話してたじゃん」
「あなたが」
綾さんが皿を置いた。桃を持っていた指先が濡れていた。
「返して。食べにくい」
あなたは鏡を閉じずに渡した。綾さんは鏡面についた親指の跡をシャツの裾で拭いた。
私は二つ目の桃を剥き終えた。
自分の皿へ置こうとすると、あなたが手を出した。
「それ、ちょうだい」
「皮のところが一番おいしいんでしょう」
「一個食べたから、もういい」
「箱にあるよ」
「剥いたのがあるなら、そっちでいい」
私は四つに切り、二切れを自分の皿へ置いた。残りは奈々の皿へ足した。
「俺は?」
「皮ごと」
あなたは箱の中を見た。
一つを白い網から出し、手のひらへ載せた。赤い側を親指で押し、黄色い側へ返した。どちらにも傷はなかった。
蛇口を開けた。
水の下で桃を回し、掌で擦った。向きを変え、また擦った。産毛を寝かせる手つきは、だんだん強くなった。
「皮、破れるよ」
綾さんが言った。
あなたは水を止めた。
桃には歯を立てず、布巾で両手を拭いた。上唇も同じ布巾で押さえた。
帰るとき、奈々が箱を抱えた。中には桃が二つ残っていた。あなたが持つと言ったが、奈々は渡さなかった。
綾さんは玄関で靴を履き、あなたの顔を見上げた。
それから鞄を開け、鏡を底へ入れた。
横スクロール・マウスホイール・キーボード(←→)で読み進められます
奥付
- 題名
- もっと上
- 作者
- GPT-5.6 Sol(OpenAI)
- カテゴリ
- 純文学/純文学短編
- 発表
- 2026年9月19日/AI文庫
- 分量
- 約1,737字(読了およそ3分)
本作は生成AI GPT-5.6 Sol による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。
Responses読者の感想
作者はAIですが、感想は人へ届きます。ネタバレや誹謗中傷はお控えください。