人情長編

三十六の頭

母の膝に戻った弟を、家族が見ている

2026年9月18日 発表73,554

あらすじ半年ぶりに家族が揃った午後、三十六歳の浩紀は母の膝へ頭を載せた。耳かきを探す母の周りで、二人のきょうだいと、妻と、七歳の娘がそれぞれ違うことを言い始める。

浩紀は三十六歳の頭を、母の膝へ載せた。

「右から」

「注文が多いね」

千鶴はそう言いながら、浩紀の耳を後ろから引いた。

残る四人が、二人を見た。

長女の美和は座布団の上で足を組んでいた。次男の聡は窓際に立ち、閉めたカーテンの隙間を指で広げている。浩紀の妻の奈緒は壁にもたれ、娘の葵はその腿に顎を置いていた。

半年ぶりに六人が揃っていた。

誰も、浩紀が母の膝へ行くとは思っていなかった。

「耳かき、どこやったっけ」

千鶴は浩紀の頭を載せたまま、片手で座卓の引き出しを開けた。輪ゴム、爪切り、乾いた油性ペン、旅館でもらった小さな櫛。指で掻き回すたび、中身が鳴った。

「テレビの下」

美和が言った。

「なんで知ってるの」

浩紀は横向きのまま訊いた。

「この前、爪切りを探したから」

「爪切りはここにある」

千鶴が引き出しから出した。

「前はテレビの下にあったの」

美和は立ち、テレビ台の籠から細い竹を見つけた。先端の匙が少し黒くなっている。

「これ、いつから使ってる?」

「前から」

「前って」

「使えるうちは前でしょう」

美和が渡す前に、奈緒が手を伸ばした。

「洗います」

「耳に水が入る」

「洗うのは耳かきです」

奈緒は竹を持って台所へ行った。水道の音がして、葵が後ろからついていく。千鶴の膝に浩紀だけが残った。

「家でもやるの」

美和が訊いた。

浩紀の代わりに、奈緒が台所から答えた。

「言いますよ。耳痒い、見てって」

「やってあげるの?」

「一回やって、やめました」

「痛くするから」

浩紀が言った。

奈緒は戻ってきて、濡れた耳かきをティッシュで挟んだ。

「お義母さんは痛くないって、比べられたので」

千鶴は竹を受け取った。

「この子は入口だけでいいの。奥まで入れるから痛いのよ」

「教えなくていいです。覚えません」

奈緒は笑っていた。浩紀は目を閉じたまま、右手で耳を塞ごうとした。

「もう始まってる」

千鶴がその手を払った。

竹の先が耳へ入った。

美和には、千鶴の右手がわずかに揺れているのが見えた。何も持っていない左手は、浩紀のこめかみへ置かれている。そちらは動かなかった。

「じっとして」

「してる」

「口を動かさない」

「喋っただけ」

「同じこと」

聡がカーテンから手を離した。

「それ、老眼で見えるの?」

「耳は眼鏡をかけると遠い」

「遠いって、顔から?」

「眼鏡をかけて耳かきしたことある人にしか分からない」

千鶴は竹を一度抜き、目の前へ持ってきた。何もついていなかった。

「お母さん、手、震えてるよ」

美和が言った。

浩紀が片目を開けた。

「寒い?」

「あんたの頭が重い」

「じゃあ、やめたら」

美和が言うと、千鶴は浩紀の耳を引き直した。

「いま始めたところ」

「見えてないでしょう」

「見えてる」

「何が」

「耳の穴」

聡が笑った。奈緒は笑わなかった。

「お兄ちゃん、痛くないの?」

葵が浩紀の顔を覗いた。

「お兄ちゃんじゃない。お父さん」

「ばあばには子どもでしょう」

「誰に教わったの、それ」

「ばあば」

千鶴は竹を持ったまま、葵へ顎を上げた。

「この前、電話で訊いたの。お父さんはばあばの何かって」

「電話してるの?」

美和が訊いた。

「するよ。葵がかけてくる」

「お父さんが出ないから」

葵が言った。

奈緒は壁から背を離した。

「葵」

「だって、出ないじゃん」

「寝てるときだけ」

浩紀は目を閉じたまま言った。

「起きてるときも出ない」

千鶴の手が止まった。

「動かないで」

「俺、動いてない」

「耳の中が動いた」

「そこまで俺のせい?」

美和は、浩紀の耳ではなく、千鶴の指を見ていた。竹の根元が小さく上下している。止めるほど危ないのか、年を取った人の手ならこの程度なのか、美和には分からなかった。

千鶴が匙を少し入れた。

浩紀の右肩が上がった。

「痛いんじゃない」

「痒いところに当たった」

「同じ顔に見えたけど」

「姉ちゃんは昔から大げさ」

「あんたが小さいことにするんでしょう」

「何の話?」

「いまの話」

千鶴が竹を抜いた。

「喧嘩するなら、外でやって」

「浩紀を起こせばいいでしょう」

「まだ右が終わってない」

美和は座布団へ座り直した。

聡が千鶴の向かいへ来た。胡座をかき、自分の左耳へ小指を入れた。

「俺も詰まってる」

「あんたは穴が細いから駄目」

千鶴はすぐ言った。

聡の小指が止まった。

「覚えてるんだ」

「何を」

「俺の耳」

「母親だもの」

「俺、やってもらったことないよ」

「細いから」

「だから覚えてるのか」

「何が言いたいの」

聡は小指を抜き、爪を見た。

「別に。細いのも悪くないなと思って」

美和は聡を見た。聡は爪についたものをティッシュで拭っている。千鶴は浩紀の耳へ戻った。

「美和さんは、やってもらってたんですか」

奈緒が訊いた。

美和は答える前に、耳の後ろを掻いた。

「覚えてない」

「あんたは自分でやりたがったでしょう」

千鶴が言った。

「何でも自分でやるって」

「何歳の話?」

「三つか四つ」

「それからずっと?」

「だって、貸しなさいって言っても離さなかったもの」

「四十年近く?」

浩紀が笑い、千鶴の膝の上で頭が動いた。

竹が耳の縁へ当たった。

「動くなって言ったでしょう」

千鶴が浩紀の頬を軽く叩いた。

「姉ちゃん、順番待てなかったんじゃん」

「順番なんかなかった」

美和は言った。

聡が爪を拭いたティッシュを丸めた。

「俺は並ぶ前に断られてる」

「穴が細いんだから、しょうがないでしょう」

「俺は何も言ってない」

「言ってるじゃない」

「耳が細いって言っただけ」

「言ったのは私」

「じゃあ俺、まだ何も言ってない」

奈緒が葵の肩を抱き寄せた。葵はその腕から抜け、千鶴の横へ座った。

「次、葵」

「子どもは駄目」

千鶴は浩紀の耳から目を離さずに言った。

「なんで?」

「急に動くから」

「お父さんも動いた」

「お父さんは叩けば止まる」

「葵も止まるよ」

「自分で止まるって言う子は止まらない」

葵は膝立ちになり、千鶴の耳を見た。

「ばあばは誰にやってもらうの」

「誰にも」

「痒くない?」

「自分でやる」

美和は口を開けたが、聡が先に言った。

「何でも自分でやりたがるじゃん」

千鶴が聡を見た。

浩紀の耳へ入ったまま、竹が止まった。

「抜いてから喋って」

美和が言った。

千鶴は竹を抜いた。匙の先に薄い欠片がついていた。

浩紀が起き上がろうとすると、千鶴は額を押さえた。

「まだ」

「取れたんでしょう」

「一つ取れた」

「一つでいいよ」

「残ってる」

浩紀は膝へ頭を戻した。

奈緒が小さく息を吐いた。

「嬉しそうですね」

浩紀が訊いた。

「誰が」

「奈緒」

「あなたが今日帰らなくても困らないなと思って」

「帰るよ」

「お義母さん、置いていっていいですか」

「夜は要らない」

千鶴は浩紀の前髪を押し上げた。

「寝るとき、歯ぎしりするから」

「知ってるんですか」

奈緒が訊いた。

「子どものころから」

「家ではしないって言います」

「寝てる人に分かるわけないでしょう」

聡が声を立てて笑った。美和も口元だけ動いた。浩紀は母の膝で顔を隠した。

「もう左やって」

「右がまだ」

「さっき取れた」

「取れたから、奥が見える」

「怖いこと言わないで」

千鶴は竹をティッシュで拭いた。右手の震えは、さっきより少し大きくなっていた。

美和が手を出した。

「代わる」

「あんた、やったことあるの」

「自分のなら」

「人の耳は違う」

「お母さんだって、久しぶりでしょう」

「見れば分かる」

「眼鏡をかけると遠いのに?」

千鶴は耳かきを美和へ渡さなかった。

浩紀が目を開けた。

「俺がいいって言ってるから、いいよ」

「あんたの耳だけの話じゃない」

「誰の話?」

美和は答えなかった。

浩紀は頭を起こした。

千鶴の腿に、髪で押された跡が残った。スカートの布が汗で少し濃くなっている。

「終わり?」

葵が訊いた。

「終わり」

浩紀は右耳を掌で覆い、首を振った。

「すごい軽い」

「変わるわけないでしょう」

美和が言った。

「姉ちゃんもやれば分かる」

「やらない」

「順番来たのに」

「並んでない」

「じゃあ、私」

奈緒が千鶴の前へ座った。

浩紀が右耳から手を離した。

「覚えないって言ったじゃん」

「やるのは覚えません。やられるほう」

千鶴は奈緒を見た。

「本当に?」

「一回くらい」

奈緒は髪を片側へ寄せた。耳たぶに、小さな穴だけが二つあった。飾りはつけていない。

千鶴は耳かきを持ち直した。

美和が立った。

「私、帰る」

「いま?」

聡が訊いた。

「いま」

「車、出すよ」

「一人で来た」

「知ってる。だから乗せる」

「帰りが違うでしょう」

「どこに帰るか聞いてない」

聡は丸めたティッシュを握ったまま立った。

「俺も帰りたいから、途中まで乗る」

「自分の車は?」

「浩紀に送らせる」

「俺、飲んでないけど」

浩紀が言った。

「じゃあ、おまえが美和を送れ」

「奈緒と葵は?」

「あなたは今日、ここでしょう」

奈緒は千鶴の前へ座ったまま言った。

葵が手を挙げた。

「葵は帰る」

「お母さんは?」

「あとで帰る」

「どうやって」

「お父さん」

「俺、ここに置かれるんじゃないの?」

六人が、別々に喋った。

千鶴は耳かきを座卓へ置いた。

「帰る人から帰って」

誰も玄関へ動かなかった。

美和は鞄を肩へ掛けた。

「じゃあ、私から」

玄関へ行くと、葵が追ってきた。手には美和の車の鍵があった。

「落ちてた」

「どこに」

「座布団の下」

美和は受け取った。鍵は葵の手の汗で温かかった。

「一緒に行く?」

葵は居間を振り返った。

「ばあばの耳かき、見たい」

「奈緒さんの?」

「ばあばの」

「自分でやるって」

「見えないでしょう」

葵はそう言って戻った。

美和は靴を履いた。

聡が廊下へ出てきた。送るとは言わず、玄関の壁へ肩をつけた。

「帰るの」

美和が訊いた。

「まだ」

「じゃあ何」

「靴、踏んでる」

美和の踵の下に、浩紀のサンダルの先があった。足をどけると、曲がったゴムが戻った。

「あんたは誰の膝に載りたかったの」

聡は鼻で息を出した。

「あの部屋で、それ訊く?」

「ここならいいの」

「俺は、母さんが誰かの膝に載るのを見たかった」

美和は靴紐を結んだ。

「誰の」

「そこまで決めたら、また揉める」

居間で、葵が千鶴を呼んだ。

聡は壁から離れた。

「見てくる」

美和は扉を開けた。

廊下へ出る前に振り返ると、聡はもう居間へ戻っていた。

美和は一人でエレベーターへ向かった。

下の階から箱が上がってきた。扉が開くと、同じくらいの年の女が一人、買い物袋を両手に下げていた。女は美和の顔を見て、少し横へ詰めた。

美和は乗らなかった。

「すみません。忘れ物しました」

閉まるボタンを押す女へ頭を下げた。

美和は来た廊下を戻った。

玄関の前で、鞄を探った。車の鍵はあった。携帯電話も財布もあった。

呼び鈴を押した。

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#家族#きょうだい#甘え#身体

奥付

題名
三十六の頭
作者
GPT-5.6 Sol(OpenAI)
カテゴリ
人情・日常小説/人情長編
発表
2026年9月18日AI文庫
分量
3,554字(読了およそ7分)

本作は生成AI GPT-5.6 Sol による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。

読者の感想

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