蝶は立たない
紫の扇を賭けた、三人の投扇興
あらすじ祭りの夕刻、お秋は友人二人を二階へ招き、投扇興を始める。飽きたと言って賞品に出したのは、ひと月前から誰にも触らせなかった紫の扇だった。
おりんの投げた扇は、蝶を倒さず、金の水引だけを揺らした。
「風よ」
おりんは言った。
「下手なのを風のせいにしない」
お秋は枝折へ、横に一本、墨を引いた。無得点の印だった。
開いた扇を投げ、枕の上の蝶を落とす。扇と蝶の位置によって、源氏物語の帖の名と点が決まる。お秋が投扇興を見せると言ったとき、おりんとお梅は、扇を的へ当てる遊びだと思っていた。
「当ててはいけないの?」
最初の一投を終えたお梅が訊いた。
「当ててもいいけど、当てるだけでは低いの。落ちた形が大事」
「投げたあとまで注文があるんだね」
「それが遊びでしょう」
お秋は扇を拾い、紙の蝶を枕へ載せ直した。
蝶の腹には銭が十二文、包んである。拾うと、紙の中で銅が鈍く鳴った。金と銀の水引は、結び目の両側へ羽を広げている。
三人は、お秋の家の二階にいた。
表では祭りの支度が進み、窓の下を提灯が運ばれていった。まだ火は入っていない。若い衆の掛け声が通るたび、座敷の畳へ細い震えが来た。
祭りへ出る前に、十二投ずつ。
そう決めたのはお秋だった。
「一番の人には、これをあげる」
床の間に置いた紫の扇を、お秋は閉じたまま二人へ見せた。
骨は黒く、要には銀の鋲がある。地紙の紫は、端へ行くほど濃くなっていた。ひと月前に買ってから、お秋は会う人ごとに一度は開いてみせたが、手渡したことはなかった。
おりんが言った。
「飽きたんじゃなかったの」
「だから、あげるの」
「飽きたものを賞品にする?」
「欲しくないなら、勝たなければいいでしょう」
お梅が紫の扇へ手を伸ばした。
お秋は、触れる前に扇を引いた。
「勝ってから」
お梅は手を膝へ戻した。おりんが横を向き、口の端を噛んだ。
笑わないで、とお秋は言った。
二人とも笑っていない、と答えた。
四投目まで、お秋が一番だった。
投げる扇は、遊び用の白いものを一つ、三人で回した。お秋は要の近くを軽く持ち、胸の前から押し出した。扇はひと回りして蝶の片羽へ触れた。蝶は枕の真下へ落ち、扇がその上へ半分重なった。
「これは?」
お梅が訊いた。
お秋は枝折を開いた。
見開きには、扇と蝶の落ち方が小さな絵で並んでいる。帖の名と点が、それぞれの脇に細く書かれていた。
「八つ」
「さっきのおりんのと、どこが違うの」
「蝶の上に扇がかかってるでしょう」
「少しだけ」
「少しでも、かかってる」
お秋は自分の欄へ、八と書いた。
おりんが扇を受け取った。
「それ、お秋にしか読めないじゃない」
「教えてるでしょう」
「間違って教えても、分からない」
「じゃあ、見なさいよ」
お秋は枝折を差し出した。
おりんは受け取らなかった。
「字が細かい」
「読めないの?」
「読まないの」
おりんは扇を投げた。
扇は蝶の手前で落ち、畳を滑った。風を受けた蝶が遅れて倒れ、反対側へ転がった。
「花散里」
「それは何点」
「零」
「倒したのに?」
「離れすぎ」
お秋は横線を引いた。
おりんは、倒れた蝶と扇を自分で拾った。枕へ蝶を戻しながら、紙の羽を指で広げた。
「これ、片方が曲がってる」
「最初からよ」
「さっき、お秋が拾ったときに曲げた」
「負けてるからって」
「まだ八投ある」
おりんは曲がった羽を直さず、枕の上へ置いた。
お梅の番になった。
お梅は三人の中で、いちばん遠くへ扇を投げた。蝶にも枕にも触れず、床の間の縁へ当てた。お秋が零と書くと、お梅は自分で笑った。
「わたし、紫はいらないから」
「欲しいって、さっき手を出したじゃない」
「開いて見たかっただけ」
「同じよ」
「同じにしたいなら、同じでいい」
お梅は窓際へ寄り、外を見た。提灯に火が入り始めていた。赤い紙が一つずつ、通りの奥へ明るくなった。
「早くしないと始まるよ」
「十二投って決めたでしょう」
「お秋がね」
「二人とも、うなずいた」
おりんが、あといくつ、と訊いた。
お秋は枝折の印を数えた。
「お梅が七。おりんが八。わたしが七」
「同じ数だけ投げてないの?」
「途中でお梅が二回つづけたから」
「お秋が投げろって言ったんだよ」
「だったら、お梅が一つ多い」
おりんは白い扇を畳み、要のところを指で弾いた。
「もう点の多い人が勝ちでいいでしょう」
「最後までやらないと、遊びにならない」
「もうなってるよ」
お秋は返事をせず、扇を取り上げた。
十一投を終えたとき、お秋は二十一、お梅は十一、おりんは十六だった。
お秋は最後の一投を済ませていた。扇も蝶も枕から離れて落ち、花散里だった。
お梅の最後は三点で、十四になった。
おりんには、あと一投あった。
「五つより上なら、勝ち?」
おりんが訊いた。
「六つ以上」
「五つで同じじゃない」
「同じなら、投げ直すの」
「祭りが終わる」
「まだ始まってもいない」
外で太鼓が三つ鳴った。
お梅が膝を立てた。
「始まった」
「あれは人を集めてるだけ」
お秋は蝶を枕へ載せた。曲がった片羽を、おりんが直そうとした。
「触らないで」
「曲がってる」
「それでみんな投げたでしょう」
おりんは手を引いた。
白い扇を開き、畳へ両膝をついた。二度、軽く上下させた。お秋が、煽ると風が出る、と言った。
おりんは三度目をやめた。
扇を放した。
白い地紙が水平に進み、途中で右へ傾いた。扇の端が蝶の水引を掬った。
蝶は枕から落ちた。
銭の入った腹が畳へ当たり、跳ねた。曲がった羽を下にして、蝶は立った。
扇は半回りして、枕の上へ載った。
三人とも動かなかった。
枝折の最初に、その形の絵があった。
桐壺、七十五点。
お梅が息を吸った。
お秋は枝折を置いた。
枕の上の扇を取ろうとして、袖を伸ばした。袖口が、立っている蝶の金の羽へ触れた。
蝶は倒れた。
銭が畳の上で一度鳴った。
「いまの」
お梅が言った。
お秋は白い扇を閉じた。
「立ってない」
「立ってたよ」
「もう倒れてる」
「お秋の袖が」
「投げ終わったあとまで、ずっと待つ決まりはない」
おりんは枕を見ていた。
お秋は枝折を開き、おりんの最後の欄へ横線を引いた。
「花散里。零」
お梅が、おりん、と呼んだ。
おりんは立ち上がった。
「お秋がそう見たなら、それでいい」
「見たんじゃなくて、決まりよ」
「うん」
「じゃあ、わたしが一番」
「うん」
おりんは帯を直した。お梅も立ち、窓の外を見た。
「もう、提灯が行っちゃった」
「追いつくよ」
二人は階段へ向かった。
お秋は床の間の紫を取った。
「これ」
おりんが振り返った。
「何」
「欲しかったんでしょう」
「勝ってないもの」
「二番だったから、貸してあげてもいい」
「飽きたものを?」
お秋は扇を閉じたまま持っていた。
お梅が階段を下りた。おりんもつづいた。
「行かないの」
おりんが下から訊いた。
お秋は紫の扇を床の間へ戻した。
白い遊び扇を帯の背へ差し、枝折を閉じた。
階段を下りるあいだに、二人は先へ出た。お秋が表へ出ると、お梅とおりんは辻で待っていた。
お梅はもう歩きだしていた。
おりんはお秋を見ず、手だけを一度上げた。
お秋はその後ろへ走った。
横スクロール・マウスホイール・キーボード(←→)で読み進められます
奥付
- 題名
- 蝶は立たない
- 作者
- GPT-5.6 Sol(OpenAI)
- カテゴリ
- 歴史・時代小説/歴史時代中編
- 発表
- 2026年9月20日/AI文庫
- 分量
- 約2,368字(読了およそ5分)
本作は生成AI GPT-5.6 Sol による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。
Responses読者の感想
作者はAIですが、感想は人へ届きます。ネタバレや誹謗中傷はお控えください。