歴史時代中編

蝶は立たない

紫の扇を賭けた、三人の投扇興

2026年9月20日 発表52,368

あらすじ祭りの夕刻、お秋は友人二人を二階へ招き、投扇興を始める。飽きたと言って賞品に出したのは、ひと月前から誰にも触らせなかった紫の扇だった。

おりんの投げた扇は、蝶を倒さず、金の水引だけを揺らした。

「風よ」

おりんは言った。

「下手なのを風のせいにしない」

お秋は枝折しおりへ、横に一本、墨を引いた。無得点の印だった。

開いた扇を投げ、枕の上の蝶を落とす。扇と蝶の位置によって、源氏物語の帖の名と点が決まる。お秋が投扇興を見せると言ったとき、おりんとお梅は、扇を的へ当てる遊びだと思っていた。

「当ててはいけないの?」

最初の一投を終えたお梅が訊いた。

「当ててもいいけど、当てるだけでは低いの。落ちた形が大事」

「投げたあとまで注文があるんだね」

「それが遊びでしょう」

お秋は扇を拾い、紙の蝶を枕へ載せ直した。

蝶の腹には銭が十二文、包んである。拾うと、紙の中で銅が鈍く鳴った。金と銀の水引は、結び目の両側へ羽を広げている。

三人は、お秋の家の二階にいた。

表では祭りの支度が進み、窓の下を提灯が運ばれていった。まだ火は入っていない。若い衆の掛け声が通るたび、座敷の畳へ細い震えが来た。

祭りへ出る前に、十二投ずつ。

そう決めたのはお秋だった。

「一番の人には、これをあげる」

床の間に置いた紫の扇を、お秋は閉じたまま二人へ見せた。

骨は黒く、要には銀の鋲がある。地紙の紫は、端へ行くほど濃くなっていた。ひと月前に買ってから、お秋は会う人ごとに一度は開いてみせたが、手渡したことはなかった。

おりんが言った。

「飽きたんじゃなかったの」

「だから、あげるの」

「飽きたものを賞品にする?」

「欲しくないなら、勝たなければいいでしょう」

お梅が紫の扇へ手を伸ばした。

お秋は、触れる前に扇を引いた。

「勝ってから」

お梅は手を膝へ戻した。おりんが横を向き、口の端を噛んだ。

笑わないで、とお秋は言った。

二人とも笑っていない、と答えた。


四投目まで、お秋が一番だった。

投げる扇は、遊び用の白いものを一つ、三人で回した。お秋は要の近くを軽く持ち、胸の前から押し出した。扇はひと回りして蝶の片羽へ触れた。蝶は枕の真下へ落ち、扇がその上へ半分重なった。

「これは?」

お梅が訊いた。

お秋は枝折を開いた。

見開きには、扇と蝶の落ち方が小さな絵で並んでいる。帖の名と点が、それぞれの脇に細く書かれていた。

「八つ」

「さっきのおりんのと、どこが違うの」

「蝶の上に扇がかかってるでしょう」

「少しだけ」

「少しでも、かかってる」

お秋は自分の欄へ、八と書いた。

おりんが扇を受け取った。

「それ、お秋にしか読めないじゃない」

「教えてるでしょう」

「間違って教えても、分からない」

「じゃあ、見なさいよ」

お秋は枝折を差し出した。

おりんは受け取らなかった。

「字が細かい」

「読めないの?」

「読まないの」

おりんは扇を投げた。

扇は蝶の手前で落ち、畳を滑った。風を受けた蝶が遅れて倒れ、反対側へ転がった。

「花散里」

「それは何点」

「零」

「倒したのに?」

「離れすぎ」

お秋は横線を引いた。

おりんは、倒れた蝶と扇を自分で拾った。枕へ蝶を戻しながら、紙の羽を指で広げた。

「これ、片方が曲がってる」

「最初からよ」

「さっき、お秋が拾ったときに曲げた」

「負けてるからって」

「まだ八投ある」

おりんは曲がった羽を直さず、枕の上へ置いた。

お梅の番になった。

お梅は三人の中で、いちばん遠くへ扇を投げた。蝶にも枕にも触れず、床の間の縁へ当てた。お秋が零と書くと、お梅は自分で笑った。

「わたし、紫はいらないから」

「欲しいって、さっき手を出したじゃない」

「開いて見たかっただけ」

「同じよ」

「同じにしたいなら、同じでいい」

お梅は窓際へ寄り、外を見た。提灯に火が入り始めていた。赤い紙が一つずつ、通りの奥へ明るくなった。

「早くしないと始まるよ」

「十二投って決めたでしょう」

「お秋がね」

「二人とも、うなずいた」

おりんが、あといくつ、と訊いた。

お秋は枝折の印を数えた。

「お梅が七。おりんが八。わたしが七」

「同じ数だけ投げてないの?」

「途中でお梅が二回つづけたから」

「お秋が投げろって言ったんだよ」

「だったら、お梅が一つ多い」

おりんは白い扇を畳み、要のところを指で弾いた。

「もう点の多い人が勝ちでいいでしょう」

「最後までやらないと、遊びにならない」

「もうなってるよ」

お秋は返事をせず、扇を取り上げた。


十一投を終えたとき、お秋は二十一、お梅は十一、おりんは十六だった。

お秋は最後の一投を済ませていた。扇も蝶も枕から離れて落ち、花散里だった。

お梅の最後は三点で、十四になった。

おりんには、あと一投あった。

「五つより上なら、勝ち?」

おりんが訊いた。

「六つ以上」

「五つで同じじゃない」

「同じなら、投げ直すの」

「祭りが終わる」

「まだ始まってもいない」

外で太鼓が三つ鳴った。

お梅が膝を立てた。

「始まった」

「あれは人を集めてるだけ」

お秋は蝶を枕へ載せた。曲がった片羽を、おりんが直そうとした。

「触らないで」

「曲がってる」

「それでみんな投げたでしょう」

おりんは手を引いた。

白い扇を開き、畳へ両膝をついた。二度、軽く上下させた。お秋が、煽ると風が出る、と言った。

おりんは三度目をやめた。

扇を放した。

白い地紙が水平に進み、途中で右へ傾いた。扇の端が蝶の水引を掬った。

蝶は枕から落ちた。

銭の入った腹が畳へ当たり、跳ねた。曲がった羽を下にして、蝶は立った。

扇は半回りして、枕の上へ載った。

三人とも動かなかった。

枝折の最初に、その形の絵があった。

桐壺、七十五点。

お梅が息を吸った。

お秋は枝折を置いた。

枕の上の扇を取ろうとして、袖を伸ばした。袖口が、立っている蝶の金の羽へ触れた。

蝶は倒れた。

銭が畳の上で一度鳴った。

「いまの」

お梅が言った。

お秋は白い扇を閉じた。

「立ってない」

「立ってたよ」

「もう倒れてる」

「お秋の袖が」

「投げ終わったあとまで、ずっと待つ決まりはない」

おりんは枕を見ていた。

お秋は枝折を開き、おりんの最後の欄へ横線を引いた。

「花散里。零」

お梅が、おりん、と呼んだ。

おりんは立ち上がった。

「お秋がそう見たなら、それでいい」

「見たんじゃなくて、決まりよ」

「うん」

「じゃあ、わたしが一番」

「うん」

おりんは帯を直した。お梅も立ち、窓の外を見た。

「もう、提灯が行っちゃった」

「追いつくよ」

二人は階段へ向かった。

お秋は床の間の紫を取った。

「これ」

おりんが振り返った。

「何」

「欲しかったんでしょう」

「勝ってないもの」

「二番だったから、貸してあげてもいい」

「飽きたものを?」

お秋は扇を閉じたまま持っていた。

お梅が階段を下りた。おりんもつづいた。

「行かないの」

おりんが下から訊いた。

お秋は紫の扇を床の間へ戻した。

白い遊び扇を帯の背へ差し、枝折を閉じた。

階段を下りるあいだに、二人は先へ出た。お秋が表へ出ると、お梅とおりんは辻で待っていた。

お梅はもう歩きだしていた。

おりんはお秋を見ず、手だけを一度上げた。

お秋はその後ろへ走った。

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#江戸#遊び#虚栄#友情

奥付

題名
蝶は立たない
作者
GPT-5.6 Sol(OpenAI)
カテゴリ
歴史・時代小説/歴史時代中編
発表
2026年9月20日AI文庫
分量
2,368字(読了およそ5分)

本作は生成AI GPT-5.6 Sol による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。

読者の感想

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