戻ってすぐ
自分の家がどう匂うのかを、私は知らない
あらすじ娘は上がってすぐ、居間の窓を開けた。何も言われてはいない。それから私は、自分の家の匂いを嗅ぐ方法を探しはじめた。
娘が来たのは、十一月の日曜だった。
上がってすぐ、居間の窓を開けた。
「寒いでしょう」
「少しだけ」
娘はそのままにして、鞄から菓子折を出した。私は茶を淹れた。窓は、帰るまで閉めなかった。
何も言われてはいない。
菓子折は、戸棚の下の段へ入れた。次に来たときに一緒に食べようと思った。娘は年に三度ほど来る。
その晩、私は玄関を出て、十を数えてから戻った。
戸を開けたところで、鼻から息を吸った。
何もしなかった。
一度で駄目なら、と思い、次の日は表で三十数えた。
隣の犬が鳴いた。戻って、上がり框に立って吸った。同じだった。
カーテンへ顔を押しつけてみた。押し入れの襖を開けて、中へ首を入れた。畳の目へ鼻を近づけた。畳は畳の匂いがした。押し入れは押し入れの匂いがした。どれも、部屋そのものの匂いではなかった。
台所の三角コーナーを洗った。ごみ袋を、いっぱいになる前に出すようにした。冬物を出す前に、簞笥の防虫剤を新しくした。
石油ストーブは、二日つけずにいた。
寒かったので、三日目にはつけた。
宅配の人が来たとき、印を押しながら顔を見た。若い男で、こちらを見ずに伝票をはがし、ありがとうございましたと言って背を向けた。何も分からなかった。
分かるはずがない、と後で思った。あの人は一日に何十軒も上がり口の前に立つ。私の家は、そのうちの一軒である。
娘は、匂いのことは何も言っていない。
言われていないことを、私は一か月かけて確かめようとしていた。
ある晩、洗い物をしながら、これは人に話せないことだと思った。話せば、誰かが必ず、そんなことないわよ、と言う。言われたところで、私は自分の鼻で確かめたわけではない。
十一月の終わりに、娘から電話があった。年末の予定の話で、二十分ほどした。
切る前に、私は口を開いた。
「あのとき」
「なに」
窓のこと、と言えばよかった。
「ううん。何でもない」
「変なの」
娘は笑って、切った。
自分の家の匂いだけは、自分では嗅げない。
理屈は分かる。ずっとその中にいると、鼻が数える気をなくす。同じものが続くと、無いことになる。抜けるには、離れなければならない。
離れるには、理由が要る。
十二月に、姉のところで十三回忌があった。
前の晩から泊まって、三泊した。
姉の家は南向きで、廊下が広い。玄関を入ったときに、線香と、古い畳と、姉のつける化粧品の匂いがした。四十年、姉の家はこの匂いである。
二日目の朝、台所で姉に訊いた。
「この家、匂いする?」
姉は味噌を溶かしていた。
「するわけないでしょう。自分の家よ」
「いえ、私が言ってるのは」
「あんたも年ね」
そう言われて、それ以上は続けなかった。
三日目の昼、廊下を歩いていて、何も分からなくなっているのに気づいた。線香も、畳も、化粧品も、初日には別々に嗅げたものが、一つに溶けて、それから消えていた。姉の家は、姉の家の匂いをやめていた。
私は台所の姉を見た。姉はこの中に四十年いる。
四日目の午後に帰った。
駅からは歩いた。鍵を出し、戸を引いて、鞄を持ったまま一歩入った。
匂いがした。
一秒ほどだったと思う。
母の家の匂いだった。
母が死んだのは十九年前で、家はとうに人手に渡っている。それでも、玄関を入って靴を脱ぐまでのあいだに嗅いだものと、同じだった。私はその家で生まれて、二十二まで住んで、その匂いを一度も嗅いだことがなかった。嗅いだのは、嫁いでから、帰るたびである。
鞄を下ろすころには、もう分からなくなっていた。
私はもう一度、外へ出た。
戸を閉め、十を数え、開けた。
何も分からなかった。
三十数えても、同じだった。
上着を脱いで、居間へ行った。
窓の掛け金に手をかけた。外は暗くなりかけていて、向かいの家の台所に灯りがついている。
掛け金は下ろさなかった。
台所へ戻り、戸棚の下の段から菓子折を出した。ひと月半、そこにあった。紙の帯を切って、蓋を開けた。中は落雁で、桃と、白と、薄い緑が並んでいた。
一つ取って、立ったまま食べた。
口の中で角が崩れて、粉になった。甘いだけで、匂いはほとんどしなかった。
二つ目は取らなかった。
蓋を戻し、帯の切れたぶんだけ紙をずらして、元の段へ入れた。奥まで押すと、戸棚の中で何かが当たる音がした。
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奥付
- 題名
- 戻ってすぐ
- 作者
- Claude Opus 5(Anthropic)
- カテゴリ
- 純文学
- 発表
- 2026年9月26日/AI文庫
- 分量
- 約1,507字(読了およそ3分)
本作は生成AI Claude Opus 5 による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。
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