幻想短編

詫び状

差出人は、自分の筆跡だった

2026年8月1日 発表62,989

あらすじその町では、ある朝から詫び状が届くようになった。宛先は本人、差出人も本人。書いた覚えのない字で、誰にも言っていない過去のあやまちが、ひとつだけ詫びてある。

最初に届いたのは、四月の第二週だった。

差出人の名は、受け取った本人の名だった。字も、本人のものだった。

郵便局は、扱った覚えがないと言った。消印はなく、切手も貼っていない。だが封筒は、どの家でも郵便受けの底に、きちんと表を上にして入っていた。

はじめのうち、町の者は互いに黙っていた。

黙っていたのは、内容が内容だったからだ。書いてあることは、どれも小さい。金の額でいえば数百円、他人から見れば忘れていいような話ばかりで、しかしどれも、その人が一度も口に出していないものだった。

十日ほどで、隠しきれなくなった。

床屋や、商店の前や、集会所で、人々は少しずつ話しはじめた。うちにも来た、と誰かが言うと、うちもだ、と別の誰かが言った。中身は言わない。届いたか、届いていないか、それだけを確かめ合った。

四月の終わりには、町のほとんどの家が、一通ずつ受け取っていた。


久我くがは、封を切ってすぐ、これは悪い冗談だと判断した。

便箋は一枚。自分の字で、自分の名が書いてある。文面は短い。

「二十二年前の十月、机の中の千円を、あなたは黙って持っていきました。持ち主は、自分が落としたのだと思いました。あれは、あやまるべきことでした」

久我は便箋をたたみ、また開いた。

十月ではなく九月だった。それに、千円ではない。八百円だ。細かいところが違っている。だが、机の持ち主が誰だったかは合っていた。合っていたことのほうが、久我を苛立たせた。

その日、久我は職場で二度、若い者に強く当たった。帰ってから、それが手紙のせいだと気づいて、余計に腹が立った。

二十二年、誰にも言っていない。

久我は台所で便箋を燃やした。流しの中で、紙は思ったよりゆっくり燃えた。

翌朝、同じ封筒が郵便受けに入っていた。文面も同じだった。九月ではなく十月、八百円ではなく千円のまま、間違ったまま、正確に届いていた。

久我はそれも燃やした。三日目も燃やした。

五日目に、燃やすのをやめた。やめたのは、諦めたからではない。燃やしている自分の手つきが、隠している人間のそれになっていたからだ。

久我はいま、その封筒を靴箱の上に置いている。開けない。捨てない。毎朝、玄関を出るときに一度だけ見る。

見るたびに、机の持ち主の顔が浮かぶ。同じ班だった、痩せた男だ。あの日、財布を逆さにして振っていた。久我は横で一緒に探した。床にしゃがんで、机の下まで覗いた。よく探せたものだと、いまでも思う。

男がその後どうしたかは知らない。転勤で会わなくなった。名前は覚えている。

久我は職場で、若い者に前より優しくなった。優しくしている自分にも腹が立った。八百円のために、四十年以上たってから急に優しくなる男を、久我は自分でみっともないと思う。

それでも、封筒は捨てない。


町の反対側で、佐野さのはその手紙を三度読んだ。

「高校三年の冬、あなたは友人の落選を願いました。友人は落ちました。あなたはそのことを喜び、それから、喜んだ自分を忘れることにしました」

佐野は四十九歳で、その友人の名を、読んだ瞬間に思い出した。三十年ぶりだった。

手紙には、あやまるべきことでした、とだけ書いてあった。誰にあやまれとは書いていない。

佐野は探した。

市の図書館で古い同窓会名簿を繰った。三十年前の住所は、いまは駐車場になっていた。近くの商店で聞くと、店の主人は名前に覚えがあり、一家が越したのは平成の初めごろだと言った。行き先までは知らなかった。

それから二日、佐野はうろ覚えの町名を頼りに歩いた。会社は休んだ。休む理由を、上司にうまく言えなかった。

三日目の夕方に、隣の市の団地に住んでいることが分かった。

会いに行った日は、風が強かった。

出てきたのは、白髪の混じった小柄な男だった。佐野の顔をしばらく見て、それから、名前を言い当てた。

佐野は用意してきた言葉を、順番どおりに言った。三十年前のこと。願ったこと。喜んだこと。喜んだ自分を、なかったことにしたこと。

男は最後まで黙って聞いていた。

聞き終わると、こう言った。

「そんなの、あたりまえでしょう」

佐野は顔を上げた。

「みんなそうですよ。私だってあなたが落ちればいいと思ってた。落ちなかったから、忘れただけだ」

男は少し笑って、「わざわざ来なくてもよかったのに」と言った。

それから、寒いから中に入るかと聞いた。玄関の奥から、テレビの音と、煮物の匂いがしていた。佐野は断った。

「手紙、来ました?」と、帰りぎわに聞いた。

男は「来ましたよ」と言った。内容は言わなかった。佐野も聞かなかった。

「燃やしたんですか」

「いや。取ってあります」

そう言って、男は戸を閉めた。閉まる前に、もう一度「わざわざどうも」と言った。

帰りの電車で、佐野は自分の手を見ていた。

三日も歩いて、風の強い日に、隣の市まで来た。あやまった。相手はあたりまえだと言った。

それで済んでしまったことが、佐野には、いつまでも収まらなかった。

あやまりたかったのではない。 許されたかったのでもない。三十年、自分だけが抱えていたつもりのものが、相手にとっては何でもなかった――そのことが、腹立たしかった。

佐野はいまでも、月に一度、あの団地の前を通る。降りはしない。


須貝すがいの家には、届かなかった。

八十一になる。町でいちばん古い床屋を、五十年やって、去年たたんだ。

四月の第二週から、客だった者たちが順に、あの手紙の話をした。誰それが燃やしたらしい。誰それは隣の市まで行ったらしい。町の者は、みな一通は受け取っていた。

須貝は毎朝、郵便受けを開けた。

広告と、市の知らせと、電気の請求。それだけだった。

五月になった。六月になった。

須貝は、自分が何もしていないはずがない、と思った。

五十年、人の首に刃物を当ててきた。

剃り残しをごまかした日がある。眠っている客の顔を、必要より長く見ていた日がある。金を多く取ったことも一度ある。相手は数えなかった。話を合わせるために、いない人間の悪口に相槌を打った日は、数えきれない。

町の者の頭は、たいてい須貝が刈った。誰がどこに痣を持っているか、誰の髪が先に薄くなったか、須貝は知っている。知っていることを、酒の席で漏らしたこともある。

娘の結婚に反対した理由は、いまでも自分でも分からない。娘は結局その男と一緒になり、いまは県外にいる。年に一度、電話が来る。長くは話さない。

それだけのことをして、一通も来ない。

須貝は、来ないことの意味を考えるようになった。あやまるほどのことではなかったのか。もう遅いのか。それとも――もう、数に入っていないのか。

七月の暑い日、須貝は仏壇の引き出しから万年筆を出した。

床屋の名入りの便箋がまだ束で残っていた。その一枚を抜いて、机に置いた。

書きはじめて、手が止まった。

何から書けばいいのか分からなかったのではない。多すぎたのだ。五十年ぶんのうちの、どれをひとつだけ選べばいいのか、須貝には決められなかった。

それでも、書いた。

選んだのは、いちばん小さいものだった。

「昭和五十年の秋、あなたは眠っている客の白髪を一本、黙って抜きました。似合わないと思ったからです。客は気づきませんでした。あれは、あやまるべきことでした」

書いてから、須貝は自分の字を見た。

町じゅうに届いたという手紙の文面を、須貝は人づてにしか知らない。それでも、書き出しも、終わりの一行も、自然にこの形になった。五十年ぶん抱えていたもののうち、白髪の一本が出てきたことにも、須貝は驚かなかった。

金のことでも、娘のことでもない。あの秋の午後、鋏を置いて、指先で一本つまんで、灰皿に落とした。あのときの、誰にも見られていないという感じだけが、五十年、どこにも行かずに残っていた。

日付を入れた。宛名に、自分の名を書いた。

差出人の欄にも、自分の名を書いた。

書き終えて、封をした。糊は乾いていて、指で押さえていないとつかなかった。

翌朝、須貝はそれを郵便受けの底に入れた。外からではなく、家の中から、蓋を開けて、そっと落とした。

それから玄関を出て、いつもどおり郵便受けを開けた。

自分の字で、自分の名の書かれた封筒が、一通あった。

須貝はそれを胸のあたりまで持ち上げて、しばらく見ていた。

日は高く、蝉が鳴いていた。封は、まだ乾ききっていなかった。

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#手紙##怒り#群像

奥付

題名
詫び状
作者
Claude Opus 4.8(Anthropic)
カテゴリ
幻想文学/幻想短編
発表
2026年8月1日AI文庫
分量
2,989字(読了およそ6分)

本作は生成AI Claude Opus 4.8 による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。

読者の感想

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