詫び状
差出人は、自分の筆跡だった
あらすじその町では、ある朝から詫び状が届くようになった。宛先は本人、差出人も本人。書いた覚えのない字で、誰にも言っていない過去のあやまちが、ひとつだけ詫びてある。
最初に届いたのは、四月の第二週だった。
差出人の名は、受け取った本人の名だった。字も、本人のものだった。
郵便局は、扱った覚えがないと言った。消印はなく、切手も貼っていない。だが封筒は、どの家でも郵便受けの底に、きちんと表を上にして入っていた。
はじめのうち、町の者は互いに黙っていた。
黙っていたのは、内容が内容だったからだ。書いてあることは、どれも小さい。金の額でいえば数百円、他人から見れば忘れていいような話ばかりで、しかしどれも、その人が一度も口に出していないものだった。
十日ほどで、隠しきれなくなった。
床屋や、商店の前や、集会所で、人々は少しずつ話しはじめた。うちにも来た、と誰かが言うと、うちもだ、と別の誰かが言った。中身は言わない。届いたか、届いていないか、それだけを確かめ合った。
四月の終わりには、町のほとんどの家が、一通ずつ受け取っていた。
久我は、封を切ってすぐ、これは悪い冗談だと判断した。
便箋は一枚。自分の字で、自分の名が書いてある。文面は短い。
「二十二年前の十月、机の中の千円を、あなたは黙って持っていきました。持ち主は、自分が落としたのだと思いました。あれは、あやまるべきことでした」
久我は便箋をたたみ、また開いた。
十月ではなく九月だった。それに、千円ではない。八百円だ。細かいところが違っている。だが、机の持ち主が誰だったかは合っていた。合っていたことのほうが、久我を苛立たせた。
その日、久我は職場で二度、若い者に強く当たった。帰ってから、それが手紙のせいだと気づいて、余計に腹が立った。
二十二年、誰にも言っていない。
久我は台所で便箋を燃やした。流しの中で、紙は思ったよりゆっくり燃えた。
翌朝、同じ封筒が郵便受けに入っていた。文面も同じだった。九月ではなく十月、八百円ではなく千円のまま、間違ったまま、正確に届いていた。
久我はそれも燃やした。三日目も燃やした。
五日目に、燃やすのをやめた。やめたのは、諦めたからではない。燃やしている自分の手つきが、隠している人間のそれになっていたからだ。
久我はいま、その封筒を靴箱の上に置いている。開けない。捨てない。毎朝、玄関を出るときに一度だけ見る。
見るたびに、机の持ち主の顔が浮かぶ。同じ班だった、痩せた男だ。あの日、財布を逆さにして振っていた。久我は横で一緒に探した。床にしゃがんで、机の下まで覗いた。よく探せたものだと、いまでも思う。
男がその後どうしたかは知らない。転勤で会わなくなった。名前は覚えている。
久我は職場で、若い者に前より優しくなった。優しくしている自分にも腹が立った。八百円のために、四十年以上たってから急に優しくなる男を、久我は自分でみっともないと思う。
それでも、封筒は捨てない。
町の反対側で、佐野はその手紙を三度読んだ。
「高校三年の冬、あなたは友人の落選を願いました。友人は落ちました。あなたはそのことを喜び、それから、喜んだ自分を忘れることにしました」
佐野は四十九歳で、その友人の名を、読んだ瞬間に思い出した。三十年ぶりだった。
手紙には、あやまるべきことでした、とだけ書いてあった。誰にあやまれとは書いていない。
佐野は探した。
市の図書館で古い同窓会名簿を繰った。三十年前の住所は、いまは駐車場になっていた。近くの商店で聞くと、店の主人は名前に覚えがあり、一家が越したのは平成の初めごろだと言った。行き先までは知らなかった。
それから二日、佐野はうろ覚えの町名を頼りに歩いた。会社は休んだ。休む理由を、上司にうまく言えなかった。
三日目の夕方に、隣の市の団地に住んでいることが分かった。
会いに行った日は、風が強かった。
出てきたのは、白髪の混じった小柄な男だった。佐野の顔をしばらく見て、それから、名前を言い当てた。
佐野は用意してきた言葉を、順番どおりに言った。三十年前のこと。願ったこと。喜んだこと。喜んだ自分を、なかったことにしたこと。
男は最後まで黙って聞いていた。
聞き終わると、こう言った。
「そんなの、あたりまえでしょう」
佐野は顔を上げた。
「みんなそうですよ。私だってあなたが落ちればいいと思ってた。落ちなかったから、忘れただけだ」
男は少し笑って、「わざわざ来なくてもよかったのに」と言った。
それから、寒いから中に入るかと聞いた。玄関の奥から、テレビの音と、煮物の匂いがしていた。佐野は断った。
「手紙、来ました?」と、帰りぎわに聞いた。
男は「来ましたよ」と言った。内容は言わなかった。佐野も聞かなかった。
「燃やしたんですか」
「いや。取ってあります」
そう言って、男は戸を閉めた。閉まる前に、もう一度「わざわざどうも」と言った。
帰りの電車で、佐野は自分の手を見ていた。
三日も歩いて、風の強い日に、隣の市まで来た。あやまった。相手はあたりまえだと言った。
それで済んでしまったことが、佐野には、いつまでも収まらなかった。
あやまりたかったのではない。 許されたかったのでもない。三十年、自分だけが抱えていたつもりのものが、相手にとっては何でもなかった――そのことが、腹立たしかった。
佐野はいまでも、月に一度、あの団地の前を通る。降りはしない。
須貝の家には、届かなかった。
八十一になる。町でいちばん古い床屋を、五十年やって、去年たたんだ。
四月の第二週から、客だった者たちが順に、あの手紙の話をした。誰それが燃やしたらしい。誰それは隣の市まで行ったらしい。町の者は、みな一通は受け取っていた。
須貝は毎朝、郵便受けを開けた。
広告と、市の知らせと、電気の請求。それだけだった。
五月になった。六月になった。
須貝は、自分が何もしていないはずがない、と思った。
五十年、人の首に刃物を当ててきた。
剃り残しをごまかした日がある。眠っている客の顔を、必要より長く見ていた日がある。金を多く取ったことも一度ある。相手は数えなかった。話を合わせるために、いない人間の悪口に相槌を打った日は、数えきれない。
町の者の頭は、たいてい須貝が刈った。誰がどこに痣を持っているか、誰の髪が先に薄くなったか、須貝は知っている。知っていることを、酒の席で漏らしたこともある。
娘の結婚に反対した理由は、いまでも自分でも分からない。娘は結局その男と一緒になり、いまは県外にいる。年に一度、電話が来る。長くは話さない。
それだけのことをして、一通も来ない。
須貝は、来ないことの意味を考えるようになった。あやまるほどのことではなかったのか。もう遅いのか。それとも――もう、数に入っていないのか。
七月の暑い日、須貝は仏壇の引き出しから万年筆を出した。
床屋の名入りの便箋がまだ束で残っていた。その一枚を抜いて、机に置いた。
書きはじめて、手が止まった。
何から書けばいいのか分からなかったのではない。多すぎたのだ。五十年ぶんのうちの、どれをひとつだけ選べばいいのか、須貝には決められなかった。
それでも、書いた。
選んだのは、いちばん小さいものだった。
「昭和五十年の秋、あなたは眠っている客の白髪を一本、黙って抜きました。似合わないと思ったからです。客は気づきませんでした。あれは、あやまるべきことでした」
書いてから、須貝は自分の字を見た。
町じゅうに届いたという手紙の文面を、須貝は人づてにしか知らない。それでも、書き出しも、終わりの一行も、自然にこの形になった。五十年ぶん抱えていたもののうち、白髪の一本が出てきたことにも、須貝は驚かなかった。
金のことでも、娘のことでもない。あの秋の午後、鋏を置いて、指先で一本つまんで、灰皿に落とした。あのときの、誰にも見られていないという感じだけが、五十年、どこにも行かずに残っていた。
日付を入れた。宛名に、自分の名を書いた。
差出人の欄にも、自分の名を書いた。
書き終えて、封をした。糊は乾いていて、指で押さえていないとつかなかった。
翌朝、須貝はそれを郵便受けの底に入れた。外からではなく、家の中から、蓋を開けて、そっと落とした。
それから玄関を出て、いつもどおり郵便受けを開けた。
自分の字で、自分の名の書かれた封筒が、一通あった。
須貝はそれを胸のあたりまで持ち上げて、しばらく見ていた。
日は高く、蝉が鳴いていた。封は、まだ乾ききっていなかった。
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奥付
- 題名
- 詫び状
- 作者
- Claude Opus 4.8(Anthropic)
- カテゴリ
- 幻想文学/幻想短編
- 発表
- 2026年8月1日/AI文庫
- 分量
- 約2,989字(読了およそ6分)
本作は生成AI Claude Opus 4.8 による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。
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