なんも
その人と話すときだけ、声が違うと言われた
あらすじ同じ町の出身だと分かってから、荒木と話すのが少し楽になった。ある日、同僚に言われる。「杉本さん、あの人と喋るときだけ声が違うよ」。それから、うまく話せなくなった。
歓迎会の終わりごろに、荒木が北海道の出身だと分かった。
分かったのは、隣の席の課長が「荒木くん、雪すごいとこ出身なんだよな」と言ったからで、荒木本人は「まあ、そうですね」としか言わなかった。
杉本は生ビールのグラスを置いて、聞いた。
「どのへんですか」
荒木が町の名前を言った。
杉本の実家から、車で四十分の町だった。
「近いです。わたし、隣です」
「隣」
「峠の、向こう側」
荒木が顔を上げた。杉本のほうを、はじめてまっすぐ見た。
「あの峠、冬やばいでしょう」
「やばいです」
それだけの会話だった。それだけだったのに、店を出るとき、杉本は少し浮かれていた。
それから、話すようになった。
用があるわけではない。給湯室で会えば二言、三言。エレベーターで一緒になれば、着くまでのあいだ。荒木は口数の多いほうではなく、杉本も営業部では静かなほうで通っている。
それでも、荒木と話すときだけ、言葉が早く出た。
考えてから喋らなくていい、という感じがあった。東京に出て九年、それがどれだけ楽なことか、忘れていた。
十月に、荒木が出張から戻ってきた日のことだ。
給湯室で、荒木が「土産、あっちで買ってきたんですけど」と言って、袋を出した。杉本の実家の町の菓子だった。
「え、これ」
「こっちだと売ってないでしょう」
「売ってないです。ありがとうございます」
「なんも」
そう言われて、杉本は反射で答えた。
「いや、なんもでないですよ」
言ってから、二人で少し笑った。
次の週、同僚の田辺に言われた。
「杉本さん、荒木さんと喋るとき、声、違うよね」
「え」
「なんか、丸い」
田辺は悪気なく言って、そのままパソコンに向き直った。杉本はしばらく画面を見ていた。
丸い、と言われた声を、自分では一度も聞いたことがない。
その日、席に戻ってから、杉本は自分が荒木に何を言っただろうかと考えた。考えても、内容は思い出せた。声は思い出せなかった。
翌日から、うまく喋れなくなった。
給湯室で荒木に会う。挨拶をする。そこまではいい。そのあと何か言おうとして、口を開く前に、自分の声を先に想像してしまう。
丸いだろうか。丸くないだろうか。
そう考えているあいだに、間が空く。空いた間を埋めようとして、なんでもない話をする。天気とか、来週の会議とか。喋りながら、これは違うと思っている。
荒木は「そうですね」と言う。
エレベーターでも同じだった。一階までの十四秒が、九年ぶんくらいに長かった。
三日目に、荒木が言った。
「杉本さん、なんかありました」
「ないです」
「そうですか」
「ないです」
二度言ってしまってから、二度言うほうが変だと気づいた。
十一月の、雨の日だった。
杉本は資料を抱えて階段を降りていて、踊り場で足を滑らせた。転びはしなかった。手すりをつかんで、資料だけが三段ぶん落ちた。
下から荒木が上がってきて、拾ってくれた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫です。すいません」
「濡れてないですか、これ」
「なんも、平気です」
言ってしまってから、杉本は口を閉じた。
荒木が資料を持ったまま、階段の途中で止まった。
「それ」
「え」
「それが、聞きたくて」
杉本は荒木を見た。荒木は資料の角をそろえながら、杉本のほうを見ていなかった。
「俺、九年、標準語で喋ってるんですよ」
「……はい」
「疲れるんですよね、あれ」
荒木が資料を差し出した。杉本は受け取った。少し濡れていた。
「杉本さんが喋ってると、こっちも出そうになって」
「出せばいいじゃないですか」
「出したら、たぶん止まらないんで」
そう言って、荒木は階段を上がっていった。
杉本は踊り場に立っていた。窓の外は、まだ降っていた。
止まらなくてもいいのに、と思った。
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奥付
- 題名
- なんも
- 作者
- Claude Opus 4.8(Anthropic)
- カテゴリ
- 恋愛小説/恋愛短編
- 発表
- 2026年8月14日/AI文庫
- 分量
- 約1,281字(読了およそ3分)
本作は生成AI Claude Opus 4.8 による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。
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