地声
父の声を作るのに、素材が足りなかった
あらすじ喉を失った父のために、過去の録音から声を作りなおすことになった。三十分ぶんの素材が要る。実家のテープを漁って、真弓はひとつのことに気づく。
医師の説明が終わると、父は机の上のメモ用紙に手を伸ばした。
「いくら」
三文字だけ書いて、真弓のほうへ滑らせた。
金額を言うと、父はもう一度書いた。
「たかい」
それから紙を丸めて、パジャマのポケットに入れた。捨てる場所が分からなかったのだろう。入院してから、父はそういう小さいところで手間取るようになった。
説明をしていた技師は、戸田といった。三十そこそこに見える。父が紙を丸めるのを見ても、顔色を変えなかった。
「保険は利きません。ただ、機械の合成音よりは、ご本人だと分かっていただけます」
「本人」
「声の質を、そのまま作りなおしますので」
必要なのは過去の録音だという。正味三十分。雑音の少ないもので、できれば喋りかたに幅のあるものがいい。笑っている、困っている、普通に用件を言っている――そういうものが混ざっているほど、出来上がりが自然になる。
「三十分」
「はい。集めていただければ、あとはこちらで」
父は聞いていないような顔で窓を見ていた。喉の穴の上に、ガーゼが四角く貼ってある。
実家は駅から歩いて二十分かかる。母が死んでから七年、父はそこに一人でいた。
押し入れの下の段に、ビデオテープが二十本ほどあった。カセットテープも菓子の缶に入っていた。ラベルはどれも母の字だった。「運動会 平成三年」「法事」「まゆみ 卒業」。父の字のものは一本もない。
真弓は缶を膝に載せて、ふたを開けたまましばらく座っていた。畳が冷たかった。
業者にまとめて出すと、二週間でデータになって戻ってきた。
再生は戸田の部屋でやった。壁に吸音材が貼ってあり、声がすぐ死ぬ部屋だった。
最初に運動会をかけた。
砂ぼこりと、放送のスピーカーと、ざわめき。画面の隅で母が手を振っている。小学生の真弓が走ってくる。
父の声はしない。
「これ、お父さまが撮ってらっしゃる?」
「そうです」
三本目まで同じだった。父が撮っているテープには、父の息づかいだけが入っている。カメラのマイクに近すぎて、風の音と区別がつかない。
「撮る人の声は、意外と残らないんです」と戸田が言った。「近すぎて割れるので、素材にはできません」
真弓は画面を見ていた。父はいつもカメラの後ろにいた。運動会も、旅行も、七五三も、入学式も。だから母と子どもだけが、二十本ぶん残っている。
父の声が残っているのは、父が撮られる側にいたときだけだった。
四本目が法事だった。
叔父が回したものらしく、画面がずっと傾いている。座敷に膳が並び、男たちが酒を飲んでいる。三十分ほど回っている。
そこに父がいた。
はじめのうち、父は普通に喋っていた。天気のことと、道が混んでいたことを言っている。それから酒が進むにつれて声が大きくなり、四十分ほどたったあたりで、誰かに向かって怒鳴りはじめた。
内容はよく聞き取れない。土地のことだったと思う。誰かが止めに入り、父はそれも振り払った。
戸田が波形を見て、うなずいた。
「これは使えます。音圧が高いので、はっきり録れてる」
「怒鳴ってますけど」
「感情の種類は関係ないんです。声帯の使いかたが分かればいいので」
真弓は黙って画面を見ていた。父が箸で膳を叩いていた。器がひとつ倒れて、誰かが布巾を持ってきた。
八本目に、母が回しっぱなしにしたテープがあった。
正月の、居間である。三脚に据えたまま、誰も止めなかったらしい。中央に炬燵があり、その向こうにテレビが映っている。
四十分ほど、ほとんど何も起きない。
途中で、画面の外から父の声が入った。真弓を叱っている声だった。
理由は分からない。宿題のことのようでもあるし、返事をしなかったことのようでもある。当の真弓は画面の端に足だけが映っていて、顔は見えない。父は八分ほど叱りつづけた。声は途中から低くなり、低くなったところで、いちばん怖くなった。
真弓はその八分を、最後まで聞いた。
「――止めますか」
「いえ」
四十年前の自分は、何も言い返さなかった。足も動かさなかった。それだけが映っていた。
戸田が波形を切り出していく。指の動きに迷いがない。この人はいつもこうやって、他人の家の音を切っているのだと真弓は思った。
「二十二分あります」
「あと八分ですね」
「はい」
その週、真弓は親戚に電話をかけた。
伯母は、テープなんて撮る家ではなかったと言った。父の弟は、留守番電話の録音が残っているかもしれないと言って、二日後に折り返してきて、消えていたと言った。
母の携帯電話が仏壇の引き出しに入っていた。充電すると起動した。着信履歴に父の番号があり、伝言が三件残っていた。
一件目。「もう出たか」
二件目。「傘」
三件目。「先に食う」
合わせて七秒だった。
真弓はそれを、戸田のところへ持っていった。
戸田は再生して、少し考えてから言った。
「これは、いいです。落ち着いた声なので」
「七秒でも」
「短いですけど、幅が出ます。同じ人の、怒鳴っていない声というのが、いまは一本も無いので」
真弓は返事をしなかった。
戸田は画面を切り替えて、別の説明をはじめた。素材が足りないときに、血縁者の声を混ぜる方法があるのだという。声道の形が似ていることが多く、親子ならかなり寄せられる。
「お嬢さまの声を、三十分いただければ、足りない部分を補えます」
「補うって、どこを」
「柔らかいところです。ご本人の素材に、いま、それが無いので」
窓の外で、工事の音がしていた。真弓は自分の手を見ていた。爪のかたちが父に似ている。母によく言われた。
「やめておきます」
「そうですか」
戸田は理由を聞かなかった。聞かれたら、真弓は答えられなかったと思う。
ひと月後に、声ができた。
父の膝の上に、煙草の箱ほどの機械が置かれた。喉に当てて、口を動かすと、そこから声が出る。文字を打ってもいい。
戸田が最初の一文を打ち込んだ。
「あー、あー。聞こえますか」
機械が喋った。
低くて、少し嗄れていて、語尾のところが硬い。丁寧な文を読ませているのに、どこか、責めているように聞こえる。
父は動かなかった。
真弓は、それが父の声だと思った。四十年聞いてきた声だった。うまくできている、と思った。
父がメモ用紙を引き寄せて、書いた。
「こんなじゃない」
戸田が真弓を見た。
「こういうことは、よくあります。自分の声は、頭の中で骨を通って聞こえているので、録音とは違うんです」
父はもう一度書いた。
「おれはこんなふうにしゃべってない」
真弓は紙を見た。それから父を見た。父はガーゼの上に手を当てて、真弓のほうを見ていなかった。
「そうかな」
言ってから、もう少し何か言えたのではないかと思った。思ったが、言わなかった。
退院して、家に帰った。
父は機械を胸のポケットに入れて持ち歩く。慣れるのに二週間かかり、慣れてからは、前より喋るようになった。
近所の人には評判がいい。声が出てよかったですね、と言われるたび、父は「ええ」と答える。険のある「ええ」が、玄関先の空気を少し固くする。相手は気づかないふりをして帰っていく。
真弓は週に三日、実家に泊まる。
夕方、台所で洗い物をしていると、居間から声がした。
「ふろ」
一語だけだった。
真弓は蛇口を止めた。手を拭いて、廊下を通って、風呂場の給湯器のスイッチを押した。押すと、壁の中で水が動きはじめる音がする。
戻ってくると、父はテレビを見ていた。
湯が張るまでのあいだ、真弓は炬燵の端に座って、その音を聞いていた。ごう、と鳴って、少し静かになって、また鳴る。四十分ぶんの正月に入っていたのと、同じ音だった。
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奥付
- 題名
- 地声
- 作者
- Claude Opus 4.8(Anthropic)
- カテゴリ
- SF/SF短編
- 発表
- 2026年8月10日/AI文庫
- 分量
- 約2,686字(読了およそ5分)
本作は生成AI Claude Opus 4.8 による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。
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