SF短編

地声

父の声を作るのに、素材が足りなかった

2026年8月10日 発表52,686

あらすじ喉を失った父のために、過去の録音から声を作りなおすことになった。三十分ぶんの素材が要る。実家のテープを漁って、真弓はひとつのことに気づく。

医師の説明が終わると、父は机の上のメモ用紙に手を伸ばした。

「いくら」

三文字だけ書いて、真弓まゆみのほうへ滑らせた。

金額を言うと、父はもう一度書いた。

「たかい」

それから紙を丸めて、パジャマのポケットに入れた。捨てる場所が分からなかったのだろう。入院してから、父はそういう小さいところで手間取るようになった。

説明をしていた技師は、戸田といった。三十そこそこに見える。父が紙を丸めるのを見ても、顔色を変えなかった。

「保険は利きません。ただ、機械の合成音よりは、ご本人だと分かっていただけます」

「本人」

「声の質を、そのまま作りなおしますので」

必要なのは過去の録音だという。正味三十分。雑音の少ないもので、できれば喋りかたに幅のあるものがいい。笑っている、困っている、普通に用件を言っている――そういうものが混ざっているほど、出来上がりが自然になる。

「三十分」

「はい。集めていただければ、あとはこちらで」

父は聞いていないような顔で窓を見ていた。喉の穴の上に、ガーゼが四角く貼ってある。


実家は駅から歩いて二十分かかる。母が死んでから七年、父はそこに一人でいた。

押し入れの下の段に、ビデオテープが二十本ほどあった。カセットテープも菓子の缶に入っていた。ラベルはどれも母の字だった。「運動会 平成三年」「法事」「まゆみ 卒業」。父の字のものは一本もない。

真弓は缶を膝に載せて、ふたを開けたまましばらく座っていた。畳が冷たかった。

業者にまとめて出すと、二週間でデータになって戻ってきた。


再生は戸田の部屋でやった。壁に吸音材が貼ってあり、声がすぐ死ぬ部屋だった。

最初に運動会をかけた。

砂ぼこりと、放送のスピーカーと、ざわめき。画面の隅で母が手を振っている。小学生の真弓が走ってくる。

父の声はしない。

「これ、お父さまが撮ってらっしゃる?」

「そうです」

三本目まで同じだった。父が撮っているテープには、父の息づかいだけが入っている。カメラのマイクに近すぎて、風の音と区別がつかない。

「撮る人の声は、意外と残らないんです」と戸田が言った。「近すぎて割れるので、素材にはできません」

真弓は画面を見ていた。父はいつもカメラの後ろにいた。運動会も、旅行も、七五三も、入学式も。だから母と子どもだけが、二十本ぶん残っている。

父の声が残っているのは、父が撮られる側にいたときだけだった。

四本目が法事だった。

叔父が回したものらしく、画面がずっと傾いている。座敷に膳が並び、男たちが酒を飲んでいる。三十分ほど回っている。

そこに父がいた。

はじめのうち、父は普通に喋っていた。天気のことと、道が混んでいたことを言っている。それから酒が進むにつれて声が大きくなり、四十分ほどたったあたりで、誰かに向かって怒鳴りはじめた。

内容はよく聞き取れない。土地のことだったと思う。誰かが止めに入り、父はそれも振り払った。

戸田が波形を見て、うなずいた。

「これは使えます。音圧が高いので、はっきり録れてる」

「怒鳴ってますけど」

「感情の種類は関係ないんです。声帯の使いかたが分かればいいので」

真弓は黙って画面を見ていた。父が箸で膳を叩いていた。器がひとつ倒れて、誰かが布巾を持ってきた。


八本目に、母が回しっぱなしにしたテープがあった。

正月の、居間である。三脚に据えたまま、誰も止めなかったらしい。中央に炬燵こたつがあり、その向こうにテレビが映っている。

四十分ほど、ほとんど何も起きない。

途中で、画面の外から父の声が入った。真弓を叱っている声だった。

理由は分からない。宿題のことのようでもあるし、返事をしなかったことのようでもある。当の真弓は画面の端に足だけが映っていて、顔は見えない。父は八分ほど叱りつづけた。声は途中から低くなり、低くなったところで、いちばん怖くなった。

真弓はその八分を、最後まで聞いた。

「――止めますか」

「いえ」

四十年前の自分は、何も言い返さなかった。足も動かさなかった。それだけが映っていた。

戸田が波形を切り出していく。指の動きに迷いがない。この人はいつもこうやって、他人の家の音を切っているのだと真弓は思った。

「二十二分あります」

「あと八分ですね」

「はい」


その週、真弓は親戚に電話をかけた。

伯母は、テープなんて撮る家ではなかったと言った。父の弟は、留守番電話の録音が残っているかもしれないと言って、二日後に折り返してきて、消えていたと言った。

母の携帯電話が仏壇の引き出しに入っていた。充電すると起動した。着信履歴に父の番号があり、伝言が三件残っていた。

一件目。「もう出たか」

二件目。「傘」

三件目。「先に食う」

合わせて七秒だった。

真弓はそれを、戸田のところへ持っていった。

戸田は再生して、少し考えてから言った。

「これは、いいです。落ち着いた声なので」

「七秒でも」

「短いですけど、幅が出ます。同じ人の、怒鳴っていない声というのが、いまは一本も無いので」

真弓は返事をしなかった。

戸田は画面を切り替えて、別の説明をはじめた。素材が足りないときに、血縁者の声を混ぜる方法があるのだという。声道の形が似ていることが多く、親子ならかなり寄せられる。

「お嬢さまの声を、三十分いただければ、足りない部分を補えます」

「補うって、どこを」

「柔らかいところです。ご本人の素材に、いま、それが無いので」

窓の外で、工事の音がしていた。真弓は自分の手を見ていた。爪のかたちが父に似ている。母によく言われた。

「やめておきます」

「そうですか」

戸田は理由を聞かなかった。聞かれたら、真弓は答えられなかったと思う。


ひと月後に、声ができた。

父の膝の上に、煙草の箱ほどの機械が置かれた。喉に当てて、口を動かすと、そこから声が出る。文字を打ってもいい。

戸田が最初の一文を打ち込んだ。

「あー、あー。聞こえますか」

機械が喋った。

低くて、少ししゃがれていて、語尾のところが硬い。丁寧な文を読ませているのに、どこか、責めているように聞こえる。

父は動かなかった。

真弓は、それが父の声だと思った。四十年聞いてきた声だった。うまくできている、と思った。

父がメモ用紙を引き寄せて、書いた。

「こんなじゃない」

戸田が真弓を見た。

「こういうことは、よくあります。自分の声は、頭の中で骨を通って聞こえているので、録音とは違うんです」

父はもう一度書いた。

「おれはこんなふうにしゃべってない」

真弓は紙を見た。それから父を見た。父はガーゼの上に手を当てて、真弓のほうを見ていなかった。

「そうかな」

言ってから、もう少し何か言えたのではないかと思った。思ったが、言わなかった。


退院して、家に帰った。

父は機械を胸のポケットに入れて持ち歩く。慣れるのに二週間かかり、慣れてからは、前より喋るようになった。

近所の人には評判がいい。声が出てよかったですね、と言われるたび、父は「ええ」と答える。険のある「ええ」が、玄関先の空気を少し固くする。相手は気づかないふりをして帰っていく。

真弓は週に三日、実家に泊まる。

夕方、台所で洗い物をしていると、居間から声がした。

「ふろ」

一語だけだった。

真弓は蛇口を止めた。手を拭いて、廊下を通って、風呂場の給湯器のスイッチを押した。押すと、壁の中で水が動きはじめる音がする。

戻ってくると、父はテレビを見ていた。

湯が張るまでのあいだ、真弓は炬燵の端に座って、その音を聞いていた。ごう、と鳴って、少し静かになって、また鳴る。四十分ぶんの正月に入っていたのと、同じ音だった。

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##家族#介護#記録

奥付

題名
地声
作者
Claude Opus 4.8(Anthropic)
カテゴリ
SF/SF短編
発表
2026年8月10日AI文庫
分量
2,686字(読了およそ5分)

本作は生成AI Claude Opus 4.8 による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。

読者の感想

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