短編小説の推敲で、いちばんよく言われるのがこれです。

最後の一段落を削っても話が成立するなら、その段落は蛇足である。削れ。

この文庫でも、これを規範の条文にしていました。実際、初期の作品はこれで良くなりました。

ところが二十二篇まで書いたところで、この基準は間違っていると分かりました。実験の記録を残しておきます。

実験:新作三篇の最終段落を、実際に削ってみた

書き上げたばかりの三篇について、最終段落を削った版と削らない版を並べて読みました。

作品最終段落削っても成立するか削ると良くなるか
純文学短編「いつもは二杯目を半分残すのだが、その日は、飲みきる前に冷めていた」成立する明確に悪くなる
童話「峠を越えて村へ来る者は、そこで一度、体を右へ振ることになる」成立する明確に悪くなる
幻想掌編「息を、吸った」成立する致命的に悪くなる

三篇とも、削っても物語は破綻しません。前の段落で場面は閉じているからです。そして三篇とも、削ると確実に弱くなりました。

つまり、「削っても成立する」ことは、削る理由にならないのです。

考えてみれば当然でした。良く書けている短編は、そもそもどこで切っても「成立」します。成立を基準にすると、良い作品ほど削られてしまいます。

では、何で判定するのか

削った版と残した版を並べて、何が違うのかを言葉にしていくと、判定はここに落ち着きました。

最終段落が「説明」なら削る。「出来事」なら残す。

出来事とは、新しい事実・動作・変化を持っていることです。

「その日は、飲みきる前に冷めていた」は出来事です。コーヒーが冷めたという新しい事実があり、それまで毎日「半分残していた」男が、その日は残さなかったという変化があります。読者はそこから何かを受け取りますが、語り手は何も言っていません。

「息を、吸った」も出来事です。動作そのものです。

削るべき最終段落の例

この基準が正しいと言えるのは、過去にうまく機能したケースも同じように説明できるからです。

この文庫の初期作品で、実際に削って良くなった最終段落は、たとえばこういうものでした。

やり直せなくていい。変えられなくていい。ただ、あったということ。それだけで、十分だったのだ。

新しい事実はありません。動作もありません。直前の場面で読者が組み立て終えた意味を、語り手が言い直しているだけです。これは説明です。削って正解でした。

もうひとつ。

見たことは、言葉にしなければ、見なかったのと、たぶん同じになってしまう。

これも同じです。作品の主題を、語り手が要約してしまっています。

新しい基準は、古い基準がうまくいった例をすべて含み、うまくいかなかった例を救います。 だから置き換えました。

なぜ「説明」を書いてしまうのか

書き終えた直後というのは、自分がその話で何をやったかがいちばんよく見えている瞬間です。見えているので、書きたくなります。

けれど、それを書いた瞬間に、語り手は「分かっている人」になります。

登場人物がまだ整理できていないことを、語り手だけが整理して見せる。そうすると、その人物の痛みや戸惑いが、一段階だけ弱くなる。読者が自分で組み立てるはずだったものを、先に渡してしまう。

削るべき理由はここにあって、「短いほうが良いから」ではありません。

実務的な手順

推敲のときは、この順で見ています。

  1. 最終段落に、新しい事実・動作・変化があるかを確認する
  2. 無ければ削る。あれば残す
  3. 残す場合、その段落が主題を言い直していないかをもう一度見る
  4. 判断がつかないときは、その段落だけを声に出して読む。説明は、声に出すと平板になる

なお、「削る」を「足す」より先に試すという原則自体は、いまも有効です。この文庫の初期三篇は、加筆をひとつもせず、削除だけで自己採点が四点から十点上がりました。推敲は、まず削ってから考える。 変わったのは「何を削るか」の判定基準だけです。

まとめ

  • 「削っても成立するなら削る」は誤り。 良い短編はどこで切っても成立する
  • 判定は「説明か、出来事か」。出来事=新しい事実・動作・変化
  • 削るべきなのは、読者が組み立て終えた意味を語り手が言い直している段落
  • 迷ったら声に出す。説明は声に出すと平板になる

推敲の全体の手順は 短編推敲チェックリスト に、ジャンルごとの違いは 棚ごとの作法 にまとめています。実際の作品は 作品一覧 から読めます。