壁のほうへ
置いたものが、少しずつ北の壁へ寄る
あらすじその部屋では、置いたものが日に五センチほど北の壁へ寄る。床は水平で、傾いてはいない。私は毎朝、机を元へ戻している。
朝、机が壁にくっついていた。
前の晩は、壁から二十センチほど離して置いた。掃除機の先が入るくらいの隙間を、いつも空けている。
引きずった跡はなかった。床は板で、埃が薄く積もっている。机の脚のまわりの埃も乱れていない。
私は机を引いて、元の位置へ戻した。
翌朝は、十五センチ寄っていた。その次の日は五センチ。日によって違う。ただ、向きはいつも同じで、北の壁のほうへ寄る。
水平器を買った。
床は平らだった。机の天板も平らだった。壁際も、部屋の真ん中も、泡は真ん中で止まる。
傾いてはいない。
それでも寄る。
寄るのは、机だけではなかった。
椅子も寄る。段ボールの箱も寄る。床に置いた鞄も、翌朝には壁のそばにある。
寄らないものもあった。
本棚は動かない。冷蔵庫も動かない。重いから動かないのかと思ったが、そうでもなかった。空の段ボール箱は寄るのに、水を入れたやかんは寄らない。
三週間ほど見ていて、規則が分かった。
その日のうちに、私が一度も触らなかったものだけが寄る。
触ったものは、その場に留まる。机は、朝どかして夜に戻すので、触っている。それでも寄る。よく考えると、私は机の天板には触るが、脚には触らない。
脚に触った日は、寄らなかった。
寄りはじめたのは、中井が出ていったあとだった。
四年、二人でこの部屋にいた。中井は物の位置を決めておけない人で、二月に一度は模様替えをした。本棚を反対の壁へ移し、座卓の向きを変え、私の鞄の置き場所まで動かした。
私は、そのたびに探しものをした。
やめてほしいと言ったことが、二度ある。中井は、うん、と言って、翌月にまた動かした。
出ていったのは一昨年の春で、結婚したからである。式には行った。
いま思えば、あの四年、この部屋では何も寄らなかった。
中井が毎日、何かしら動かしていたからだと思う。触られたものは留まる。中井は留めていたのではなく、ただ落ち着かなかっただけだが、結果としてそうなっていた。
私はそれを、規則が分かってから気づいた。
気づいて、誰にも言っていない。
大家に言うことは、考えなかった。
言えば見に来る。見に来た日は、その人が触るので、何も寄らない。何も寄らないところを見せて、それで終わる。
去年の秋に、中井が一度来た。
近くまで来たから、と言って、二時間ほどいた。座卓の上のものを、話しながらいくつか動かした。灰皿を寄せ、コップの位置を変え、私の眼鏡を畳んで端へ置いた。
昔と同じだった。
私は何も言わなかった。
その晩、動かされたものは寄らなかった。灰皿もコップも眼鏡も、朝、そのままそこにあった。
机は寄っていた。中井は机に触らなかったからである。
毎朝の手順は決まっている。
起きて、机を引く。二十センチ。椅子を机の下へ入れる。床の鞄を、扉のそばへ戻す。段ボールは三箱あって、それも並べ直す。
十分ほどで終わる。
半年ほどで、体が覚えた。目が覚めてから終わるまで、何も考えていない。
戻し終えると、部屋は昨日と同じになる。
同じになったところで、私は座る。
冬に、床の埃を掃いた。
机の下を掃いていて、板の目に沿って、薄い線が四本あるのに気づいた。
脚の跡である。
北へ向かって、それぞれ二十センチほど伸びている。毎朝おなじ距離を戻しているので、行きと帰りの跡が重なって、細く濃くなっていた。
私は雑巾で拭いた。
線は落ちなかった。埃ではなく、板が減っていた。
三月に、引っ越すことになった。
会社が移り、通えなくなる。決めたのは私で、迷ったのは二晩だけだった。
荷物をまとめる日、机を最後に運び出した。
運送の者が二人がかりで持ち上げると、下に四本の線がはっきり出た。二年ぶんである。線の北の端は、壁から五センチほどのところで揃って止まっていた。壁までは行っていない。
私は毎朝、壁につく手前で止めていたのだと思う。つくところまで行かせたことは、たぶん一度もない。
部屋を空にして、鍵を返した。
中井には言わなかった。引っ越しの葉書だけ出した。
新しい部屋では、何も寄らない。
置いたものは、置いたところにある。朝起きても、机は昨日の場所にある。
引っ越して二週間ほど、私は毎朝、机を引いた。
引く必要がないのに、手が動いた。引いて、そのぶん押し戻す。二十センチ引いて、二十センチ戻す。
三週目にやめた。
やめてから、朝が十分ほど長くなった。
その十分で、私は湯を沸かして、茶を飲むようになった。
先週、床を拭いていて、机の下を覗いた。
板はきれいだった。
私は指で、脚の外側に四つ、印をつけた。鉛筆で、薄く。線ではなく、点である。
つけてから、机を五センチだけ北へ動かして、置いた。
翌朝、二十センチ引いて、戻した。
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奥付
- 題名
- 壁のほうへ
- 作者
- Claude Opus 5(Anthropic)
- カテゴリ
- 幻想文学/幻想短編
- 発表
- 2026年10月5日/AI文庫
- 分量
- 約1,676字(読了およそ3分)
本作は生成AI Claude Opus 5 による創作です。登場する人物・団体・事件はすべて架空のものです。 無断転載はご遠慮ください。引用の際は出典として「AI文庫」と作者モデル名の明記をお願いします。
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